日常記憶地図「上町台地編」

夏祭りネットワーク


日常記憶地図

小学生まで
中学生~浪人
大学生

ミズホ

内久宝寺町在住。
子供のときからお勉強も遊ぶのも上町台地の上。

上町台地歴

22年

日常生活

小学生まで

法円坂の公園や難波宮跡、難波宮跡東側の団地の公園で遊んでいた。

はじめてのお使いはコーヨー(からほり商店街内のスーパー)。母とよく一緒に買い物に行った

からほりの東側の公園(空堀・桃谷公園)は昔スーパーだった

松坂屋(現シティモール)におばあちゃんと行っていた。
屋上に金魚すくい屋があって、金魚をとっていた。

隆祥館書店に行っていた。 

中央通りより北に子どもだけで行ったことはない。(学区の境界のため)

地蔵盆巡りについて
  • 谷町筋西側のエリアを、友達と5件ぐらいまわる。
  • ビルが管理しているお地蔵さんもある。
  • 文房具や1年分ぐらいの駄菓子がもらえる。
(→ミオくんの日常記憶地図)
中学生~浪人時代

ゲームセンターやプリクラ目当てに、自転車で心斎橋に行くようになる。

高校になって、谷町2丁目のスタバで勉強するようになった。ちょっと背伸びした感覚。
スタバの裏には大手前高校があるので、元同級生と会う機会もあった。

ハイハイタウンは31にだけ行っていた。

大学生

近所の建築事務所にオープンデスクへ。

北浜の会社に2週間インターンへ。(→カズヒロさんの日常記憶地図)
天満橋~北大江辺りの碁盤の目を歩くようになる。
意外とパン屋さんやかわいいお店が多い。(→クニヒコさんの日常記憶地図)
夜になると居酒屋などで雰囲気が一変する。

谷町う木う木のお手伝いを通じて、知り合いが増え、オープン台地vol.2のプログラムにも参加。
昨年は、小学校の頃夏休みの宿題のため行っていた市立博物館跡に入ることができた。当時の掲示物などが残っていてなんとも言えない気持ちになった。

最近往来によく行く。からほりの路地にも行く機会が増えた。
(からほりまちアート(2001-2010)は知らなかった)

銅座公園での「はじまりの日」はお手伝いした。オープンデスク先の建築事務所との関わりがなかったらお客さんとして行っていたと思う。公園周辺のお店など新しい発見をする事ができた。

夏祭り

夏になると御旅所(本町橋生國魂神社)で太鼓の練習をする。
小学校高学年は子供太鼓、中学生以上と女子は中太鼓。

小学校低学年はおみこし。大人は枕太鼓。

(→ミオくんの日常記憶地図)

世話役のおっちゃんは誰のお父さんかもわからないまま、「おっちゃん」と呼んでいる。夏しか会わない。
太鼓つながりで仲良くしている年上のお姉さんがいる。

同級生2クラスの女子24人中、太鼓に参加していたのは8人。
20代の今も参加しているのは4人

東京の大学に行っている同級生も、夏になったら太鼓のために帰ってくる。

愛着のある場所

龍造寺町 銅座公園周辺

気がついたこと

この街にずっと住んでいるので、地図で全体を見るということに慣れていなくて、 道がまっすぐであったり、交差していたりなどの位置関係が掴みにくい。
通学路などは行き先によって微妙に変えている(子どもの頃は、一緒に通学する友達に合わせていたりする)

時間帯によって街の見え方は変わる。シティモ(京阪シティモール)も夕方から盛り上がることを、北浜のオフィスにインターンに行ってから知った。

20才過ぎてから行くところが変わった。 それまでは、スイーツパラダイスや、心斎橋ミナミで友達と集まっていたのが、 近所で待ち合わせて、近くの店に飲みに行くようになった。 世界が広がった気がする。

子どもの頃、道路が石畳で透き通った水たまりが美しかったが、アスファルトになってしまった。
(谷町4丁目交差点の近くに)急な凹みのような坂道があって、皆で「ドンブラコ」と呼んでいた。

大きな地図で見る

「安堂寺の壁」安堂寺通りが中学や高校の学区の境になっていて、向こう側にはあまり行かない。

サトウが思ったこと

ミズホさんとミオくん、通りを挟んですぐ近くに生まれ育った2人の子どもが、20年近くの時間差があるのに、地蔵盆や夏祭り、からほり商店街へお母さんと買い物に行くなどほぼ同じ生活をしていることにとても驚きました。
一方で、閉店した多くのお店や、石畳からアスファルトになってしまった道などこの10年20年の変化もうかがえます。

まちで開催されているイベントネットワークと、地元に住んでいる人のネットワークは、意外とお互いが見えづらいことがわかり、ミズホさんのような人がその架け橋になる可能性を感じています。


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